宮本やこ(Yako Miyamoto) - リズムパフォーマー
映画化された人生
自分の気持ちを誤魔化さず、自分で選んだ人生を歩む。生き苦しさを感じていた日本を飛び出し、自力で生きるために大学生の時に飛び込んだニューヨーク。一年で帰るはずが、様々な出来事と出会いが重なり、「今しかできない」と大学を中退してダンスで生きることを決意。ニューヨークでダンスカンパニー鼓舞「COBU」を立ち上げ、世界規模のエンターテインメント集団「STOMP」に日本人初キャストとして合格。以降、シビアな実力社会の中での激しい競争を勝ち抜き、10年間STOMPのレギュラーキャストとして数え切れないくらいの公演に出演し、目覚ましい活躍を見せる。COBUとしても全米各地やヨーロッパ各地への公演ツアーを成功させ、様々なアワードを受賞。数々の活躍が注目を浴び、自身がモデルとなったハリウッド映画も制作され、日本でも24時間テレビなどに出演。まさにアメリカン・ドリームを体現したような輝かしい生き方の裏には、どこまでも自分に正直に生きるという強い信念がありました。その信念を胸に歩んできた中で、やこさんが見てきた世界とは?彼女の深い人生をたっぷりとご紹介します!
対談者:Akimi Okuda
年齢の壁自力で生きるってどういう事だろう
今思えば単に世間知らずのガキが!ってなるんですけど、その当時は年齢制限の枠ってのにがんじがらめになっていて、どうしても保護者の認可が必要だったりして思うように動けず、「なんでやねん!」って思うことが多くて…。だから、早く自力で生きたくて、この枠の外に出たかった。お金を貯めて、とりあえずニューヨークに飛び出してみたら、21歳の成人の線は一本あったけど、それ以上になれば何をやっても自由だ、と感じました。自由=自己責任ですけどね。自分的にはそれがしっくりきて。
まあ、今になってみれば、日本の良さを改めて発見してる自分がいて、日本キライって思ってたのに、いざ外へ出て違うポジションから振り返ると、日本だからこその良さってのが素直に受け入れられるようになってて、なんか、その場に立ち止まって文句ばかり言っていたら気づけなかったことかもって。
一介の学生が、タイミングと何かの縁で、ストンプなんていう世界規模のエンターティメント集団に入ってしまって、アメリカのテレビやラジオに出る時には、日本人初キャストだったが故に、日本のことを聞かれることが多くあって、日本を背負って来てるなんて感覚はゼロだった分、これはヤバイぞ、と初めて日本を見つめ直しました。笑
日本の歴史とか文化について聞かれたり、歌舞伎とか、アニメとか、日本人なんだから知ってて当たり前だよねって、めっちゃキラキラした目で見られたりして…。「 知らない」じゃ済まされない立ち位置に立たされて、改めて日本に向き合ってみて。
アメリカの会社に、唯一の日本人という立場で入ってなかったらこの作業はしてなかったと思います。
あと、驚いたんですけど、毎日ステージに立つようになったら日本の方からすごい数のメールやレターをもらって、「日本人として誇りに思います!」って書いて下さいる方が多くて。他にも、出待ちをしてくれる日本の方々が泣いてくれてたり…、大人になりきってなかった自分はちょっと引くくらい驚いちゃって、なんか、同じ日本人だからっていうだけでこんなにも多くの人が感動して応援してくれるのかって衝撃で。
それまでは、社会に認められない生き方をしていると思ってきたから、「誇りに思うって、うわ、なんか、」みたいな 笑。そのカテゴリは自分の中でなかったし、でも、そんな声を送ってきてくれた数多な人々のおかげで、ああ、自分は日本人なんだなあ、とジワジワと自覚させてもらったって感じです。 今では、日本人であることを誇りに思う、なんて恥ずかしげもなく言えちゃうんで、気付かせてくれた方々にほんとにありがとうございます、って思ってます。
衝撃の出来事泥棒事件で所持金5ドルを経験し、逆に「行けるとこまで行ってやろう」と決意
それ、皆んなに言われました。
でも、まだ何もかもが中途半端だし、今帰ったら 確実に帰国を泥棒のせいにするだろーな と思って。何もトライせずに帰りたくなかっただけで、もし3日でギブアップ!ってなったとしても、まあ、自分で挑戦した結果なら、しゃーないって思えるかな、と。ギブアップなら自分のせいですしね。
逆にこの出来事があったからこそ、「よし、期限なんて決めずにいけるところまでいってやろう。」って考え方に変わって、それまでは日本でバイトをして貯めてきたお金が減っていくのを数えながら生活していたけど、もう手元には5ドルしかないっていう状況になったら、残りをカウントダウンして生きていたのが、今日も一日生き抜いた、あと1ヶ月はまだいけるぞ、っていうカウントアップな生き方に変わりました。
まずはバイト探し。探し始めたら話しかけてくれる人がいて、ドギーウォークっていって、犬の散歩をするバイトを教えてもらって。1回30分10ドル即金、その時点で全財産の2倍なんで、その場でokしました 笑。早朝と夕方なので学校にも支障がなくて、続けているうちに、飼い主さんにかわいがってもらって、泥棒がなかったら繋がらなかった縁だし、やっぱ減ってくものをカウントダウンしてた時より今の方が生きてる感じが出てきて。
最悪と言われる状況の中でも、その中でできることもあって、やれば何とかなるんだなと実感できたし、なんてゆーか、人生で条件が整ってない時なんてたくさんあるから、その条件下で何をどうしていくかが、ポイントなんだなあ〜と。 人生なんて、何がどう影響するかわかんないもんですね。
そうですね、拓け方も色々だとは思いますが笑。わたしは、自分でも驚くほどの大失敗もしたし、時間しか解決してくれないような傷もガッツリ負ってたりするけど、まあ、なかなか楽しい人生を歩んでると思ってます。
生まれてきてから死ぬまでってその人唯一の物語で、自分で一目一目紡いでいくしかないと思うので、どうせなら最後の一文は、「ま、悪くなかったんじゃない、自分の人生」って笑って死にたいじゃないですか。
中学生くらいの時に思うことがたくさんあって、生きてると、自分にないものを持ってる人にたくさん出会うし、その時、そういう人たちに対してどういう気持ちを持てばいいのかって考えた事があって、例えば、いいなーいいなーって言ってれば自分の環境も能力も好転するってゆーなら全力で羨ましがりますが、羨ましがってても何も変わらないなら、お、いーね!って素直に賛辞を送ったあとは、自分は自分なりに好転させることを一個ずつやろーと切り替えるたほうが自分は生きやすいなあと。まあ、中学生が考えることなんで「言うが易し」ですけどね。
実際、今でも、「ぎゃー、なんだその恵まれた環境っ、めっちゃジェラるわ〜っ!」とか「条件良過ぎっ、変わってくれ〜っ!」って子供のように叫んでますから。笑 まさに、「行うは難し」です。
大学ダンスとの出会い、そしてNYへ
大学にJADEってストリートダンスサークルがあって、そこで初めてhip-hopを踊り始めました。この業界にいるわりには、ダンス始めたのがめっちゃ遅いんです。
こっちに来たら、毎日時間があればスタジオに通って、レッスンの合間に空いたスタジオに潜り込んで練習したり、当時は踊るのが楽しくてしょうがなかった。
そのうち、声かけてもらったのがきっかけで、ショーに出演し、その時作った曲で振付賞をもらって、ミネソタの大きな公演にまで招待してもらって。
そんなこんなやってるうちに、ダンサーの友人達に「これからもヤコと一緒にやりたい」と言われて、それまで自分でチームを組むとかあんまり考えた事なかったから、ちょっと悩んだけど、その時の仲間も好きだったしこれも何かの縁かな、と。それが鼓舞「COBU」の始まり。
まあ、まさかCOBUが会社になって10年以上続いていくなんて、その頃は想像もしてなかったですけど。
なんせ、学生時代 英語は赤点で落ちこぼれだったから、周りから「宮本が留学?!」と散々言われたくらいなんで、まさかNYで会社?!と、想定外すぎて。 自分が海外拠点で働くとは思ってなかったなあ。
方向転換「今やりたい」の素直な気持ちに向き合ってわかる事
好きの度合い、というか、「今しかできないもの」「今やりたいと思っているもの」って考えたんです。決めた時、「体が動くうちに10年くらいエンタメを思いっきりやって、まだ勉強したかったらそのあとに脳を使えばいい。」って。まあこれは後で短絡的だと思い知る事になるんだけど、その時は自分の中ではすごいスッキリした気持ちで決断しました。
周りの人の意見は大事だけど、うまくいかなくなった時に「あの時、あの人が、ああ言ったから」みたいな、人のせいにした愚痴をこぼすような選択をしたくなかったから、意見をもらった後で自分で考えて決めようって思って。
そうすれば、失敗しても自分のせいってなるから、そしたらとっても楽になったんです。自分で責任取れるっていうのは、自分の人生を自分でハンドルしているってことかなと。「あの時こうしておけば」って言うのは嫌い、ずっと後まで残るでしょ?
ストンプ時代シビアな世界で生き残っていくために、ひたすら努力を重ねた自分との戦いの日々
生き方自分で選んだ人生を歩む
目標楽しい人生だったと思える事
メッセージ言い訳しない人生を!
BIOGRAPHY
- 大学慶應義塾大学理工学部中途退学
- 2002-2012STOMP 日本人初キャストとして合格。以来 2012 までレギュラーキャストとして女性主役で週 6.7show、計 3000 公演以上に出演。 その後も、サポートメンバーとして不定期で出演。 Dolby 世界配信コマーシャル出演、 World on Ice コマーシャル出演、GMA 生放送出演。Stomp の顔となるポスターに起用され、2008 年からタイムズスクエアのビルボードを単独で飾る。
- 2012-2017Cobu にて NBA のハーフタイムショー(MSG:2 万人ホール)を皮切りに、ラスベガス、ボストン、シアト ル、テキサス、フロリダ、ワシントン etc.で公演。 ミラノ、ベリンツォーナ、ベルン、ルガーノ 等ヨーロッパツアー公演も成功させた。 Wella NY talent 優勝、K-ollabrate 優勝、Fringe オーディエンスフェーボリットアワード受賞、振り付け賞受賞、世界を変える 100 人の日本人、雑誌「Time Out」にて「観るべきパフォーマンス 30」 に選ばれる。
- 2014ハリウッド映画 COBU3D 宮本やこをモデルにした映画をハリウッド、NY、カナダで撮影 2014 映画全米公開 2015 年 ベルリン、 フランスなど世界 54 カ国で公開。「make your move 」
- 日本日本武道館 24 時間テレビ生パフォーマンス 聴覚障害者+車椅子の子供達 36 とともにリズムパフォー マンス、 V6, Hey say jump, 振り付け 等。 行列の出来る法律相談所、笑っていいとも、スッキリ、ニュースゼロなどに出演。
- 現在セレブリティパーティでのパフォーマンス、全米各地での振り付けや曲提供、ショーのオーガナイズ、 COBU と共にパフォーマンス等を行う。