DeeJay Martin - DJ
DJとして世界中を飛び回りたい
人種の入り混ざるここニューヨークでDJとして活躍する、DeeJay Martinさん。 どんな音楽も好きだという彼は、HIPHOPだけでなくあらゆる音楽を使ってニューヨークの夜を盛り上げている。 DJというイメージからはほど遠い一途でまじめな男。去年結婚し、今年は子供も生まれ、新しいステージに挑む彼の生き様をLIVE!!
対談者:Dragon
挑戦者、戸上恭丞(http://tamariba.jp/lives/1769.html)の紹介。年齢が自分と同じということで、あとでタメ語になる。イケメンやしDJやしちゃらいんだろうなって思ってたらめちゃ女性関係はまじめでびびった。かっけー!今後が楽しみだ!!
17歳DJを始める
友達のお兄ちゃんがDJやってたんです。
それであるときクラブに誘ってもらって
そこでそのお兄ちゃんがDJやってるの見て
めちゃくちゃかっこええなって思って。
それが大きなきっかけですね。
当時DJ機材を全部そろえるには
15万くらいかかったんです。
レコードも一枚1000ー1500円くらいして。
だからまずは1枚ずつ好きなレコード
買っていって徐々にそろえていきました。
そしたらある日友達の兄ちゃんに
クラブでDJさせてもらって、
そこからどんどんはまっていきました。
それが17歳の時です。
全然です!
昔からあんまり女の子遊ぶの得意じゃなくて、
人見知りっていうのもありますけど。
だから今でも男友達は多いですけど
女友達は少ないですね。
あと僕が尊敬するDJの人が、
すっごいもてるんですけど、
女遊びとか全然しないんです。
その人は男にもすごい人気で。
かっこええなーって。
だからそういう影響もあるかもしれないですね。
22歳半年のつもりでニューヨークへいく
まず高校卒業してオーストラリアに
1年いったんです。それは留学で。
そのとき外国っておもしれーなって、
思ったんです。
ちょっとやりました。
今でこそオーストラリアの
音楽シーンはレベル高くて、
オーストラリア発信の音楽も
世界に広がってるんですけど、
その頃はまだまだ発展途上でして。
ロックが中心だったんですけど
それもヨーロッパとかニューヨークとかを
見てるというよりは隣のニュージーランドを
意識してる感じで。
実はニュージーランドってクラブ、
音楽けっこういけてて。
カッコいいラッパーなんかもいっぱいいます。
でもここで学ぶ事は
自分の思い描いていた方向性とは違いました。
当時はそう思いましたね。
やっぱりどうせなら
本場にいってみようと思ったんですよね。
6ヶ月くらい行ったろって思って。
そしたら3ヶ月目に
レギュラーの仕事が1本とれて。
やっぱり頑張ればチャンスはいくらでもある
街だなってすごい感じて。
そこからニューヨークで勝負しようって決めました。
22歳DJの仕事ができるようになる
全くなかったです。
でもどうしてもDJしたかったんで、
ニューヨーク来たばっかのときは
週7でクラブいってたんです。
(貯金も速攻尽きました笑)
そしたらアジア人が経営してるクラブで、
そこはDJもアジア人が多くて、
初めて仕事をもらえたんです。
クラブには必ずDJをブッキングする
プロモーターがいて、
(オーナー、マネージャーが
直接ブックするケースもありますが。)
そういう人に声をかけてました。
でも仕事もらえたとしても
すぐ切られたりしましたけどね。
初めにもらった仕事も3ヶ月くらいで
「もう来なくていい」って言われましたし。
キツいですね。
正直ほんと泣く寸前まで
落ち込んだ事も何度かあります。
やっぱり最初はNYのシーンに
なれるのに時間かかりましたし、
初めの方なんて、マネージャーから
「客が帰ったぞ。お前のせいや。」
とかめちゃめちゃ 言われましたし。
んー、もちろん人柄もありますけど、
やっぱりうまさはもちろん、
選曲、人気度、安定 性じゃないですかね
「こいつに任せてたら大丈夫」みたいな。
そうですね。
客が減ったなぁとかわかりますね。
やっぱり、座ってるお客さんを
立たせたいですし、
おもんなそうにしてる人
おどらせたいですもんね。
やっぱ常にフロアは意識するようにしてます。
24歳仕事が少しずつ安定し始める
週5、6は入ってますね。
多いときは一日3、4件とかありますね。
3、4年くらいかかりましたねぇ。
何が一番好きか?って言われると
やっぱりDJ始めたきっかけでもある
HIPHOPです。
でも、基本的に僕は
「音楽」が好きなんで、
特にジャンルにはとらわれないですね。
いいと思った曲はなんでもかけますし、
聴きます。一緒なんかわかれへんけど、
いくら寿司が好きでも、
毎日寿司は無理でしょ?
やっぱカレーも食べたいですし。
そんな時に出会ったのが
Open Formatっていうジャンルですね。
ニューヨークだと、人種や
パーティーの種類によって
プレイする曲もかわってきますし。
そうですね。全然違います。
土臭いところから派手なとこまで。
僕はいろんな人種が混ざった現場が多いです。
かと言って例えば黒人ばっかのとことかでもしますし。
気持ちいいですね。
やっぱり自分が盛り上げようと思った
ポイントで盛り上がってくれると
嬉しいですね。
大体いつも3曲先くらいまで考えてプレイしてます。
この曲でこういう感じにして
3曲目で一気に盛り上げようとか。
そこでハマると嬉しいですね。
でも盛り上がるはずのポイントで
盛り上がらなかったりすることも
ありますけどねw
そういうときはそこからまた
組み立てを考えます。
んー。やっぱりフロアの空気を
読めるかどうかじゃないですか。
でもめちゃめちゃうまいDJが
駄目な日だってありますし、
やっぱりお客さんのコンディションにも
よったりしますね。
毎回やっぱりお客さんは違う訳ですし。
そうですね。
たとえば、100人入る箱に
お客が5、6人だったとして、
今流行ってる曲かけて、
盛り上がりますか?って言われても
微妙じゃないですか?
ここのスタバ(※スタバにて対談)でも
いきなり! 爆音でゴリゴリのHIPHOPや
EDMが流れたらびっくりしますよね?
やっぱりその瞬間の雰囲気に
合わせた選曲をしないと。って思います。
28歳子供ができる
風営法問題ですよね?
そうですね、複雑な状況ではあると思います。
踊らせたら駄目。とか。
でも音楽は一生なくならないと思いますし、
必ずもっとやりやすい環境には
なっていくと信じてます。
昨日ちょうどDJの年収の世界ランキングを
見てたんですけど、
トップは30億以上稼いでるんです。
ね。やっぱり億稼ぐDJって
プロデューサーDJが多かったりしますね。
やっぱりHITソングを世に送り出すのと
出さないのでの差はすごいと思います。
Swedish House Mafiaなんて、
Madison Squareのチケット完売でしたもんね。
そうなりたいですね。
毎年目標を決めてこなすように
努力してるんです。
今年は仕事を週5本は安定させる、
とか、それらは今までなんとか
全部達成できてるんで、
これからも階段をどんどん
登っていけるように頑張りたいですね。
全然まだまだこれからです。
納得した時点で試合終了ですから。
僕は結婚したり、子供ができて、
すごく良い意味で追い込まれたというか、
もっと頑張れるようになったんです。
自分の好きな職業で養っていく。って。
人間追い込まれたときの
パワーってすごいじゃないですか。
なので守りに入るってよりも
どんどん冒険できる気がします。
野望世界中の人を音楽を通じて笑顔に変えたいです。
僕ね、DJってすごい夢のある
職業だと思うんです。
どんなジャンルにせよ、
音楽まったく聞かない人って
なかなかいないでしょ?
音楽って人を笑顔に変える力が
あると思うんです。 例えば結婚式には
結婚式にあった曲があったり、
その場に応じた曲って
絶対あると思うんですよ。
DJは音楽を通じて
それらをできる職業ですから。
笑われるかもしれませんが、
今はパソコン一台でDJできる時代ですし、
世界中の人を音楽を通じて笑顔に変えたいです。
理想の生き方後悔しない人生を歩みたいです
ほんと、もっと世界中で
仕事ができるようになりたいですね。
僕は海外で仕事をするのが好きなんです。
海外の人たちとその国の文化に
触れるのも好きですし
もっといろんな国にいきたい
贈る言葉後悔だけはしないで欲しいです。
迷ってるなら今すぐにでも行くべき。人生一度きりですし、後悔だけはしないで欲しいです。
後日談
31歳あらたなステージ、シンガポールへ。
今は実はシンガポールに住んでて、もう10ヶ月になるんだけど、DJは勿論、ブッキング や、クラブのマネジメントの仕事も手伝わせてもらってる。アミューズという会社がナイトクラブ「MILLIAN」という1000人規模の大きなクラブ/ライブハウスを出すからっ てその立ち上げから携わることになってすごい面白い仕事させてもらってて。シンガポールはいいクラブもいっぱいあるから簡単じゃないけど、目標を持って刺激ある生活を毎日送ってるよ。
DJの仕事で言うと、最近では、MILLIAN含め、色んな箱で大体週四ぐらい?プレイしてるかな。シンガポールのシンボルでもある、Marina Bay Sandsっていう屋上にプールが あるホテル知ってる?あそこのRooftopにあるDJ MAG TOP 100clubsにも入った「Ce’ la vi」ってクラブで毎週帯でやらせてもらったり。あとはシンガポールって安ければ60- 100ドルぐらいでタイとか行けたりして、ベトナムとかミャンマーとかのフェスにも最 近出るようになった。2016年にはULTRA KOREAにも出れた。とりあえずマジで自分 は海外好きやからいろんな国行ってプレイしたい。アメリカにいた時にあまり行けなかっ た東南アジアやアジアを今は攻めたいなと思ってます。
でもハングリーな人はあんまおらん。(まだ出会えてないだけかも知れないけど。)やっ ぱりアーティストで有名な人ってあまりいないし、そもそもアーティストの地位が高くない、お金を稼ぐことが重要な価値観になってるから。そういう面ではニューヨークの 方がいっぱい気が合う友達はできたかな。でも、東南アジアでのDJの友達はいっぱいできた。
仕事で言えば、アメリカとアジアでは音楽、Clubシーンが全然違うから、難しいところ もあるけど、楽しいね。
BIOGRAPHY
- 00歳福岡生まれ和歌山育ち
- 15歳バンドを始める
- 17歳DJを始める
- 18歳オーストラリアに1年留学
- 19-21歳バイト
- 22歳半年のつもりでニューヨークへいく
- 22歳DJの仕事ができるようになる
- 24歳仕事が少しずつ安定し始める
- 27歳結婚
- 28歳子供ができる!
- 29歳日本帰国
- 30歳あらたなステージ、シンガポールへ。
- 31歳ULTRA KOREA, SUPERSONIC FESTIVAL(ミャンマー), ESCAPE MUSIC FESIVAL(ベトナム)SummerJam Tokyo出場