R-naby - HipHop artist

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本場のHipHop業界に旋風を巻き起す若き開拓者

 
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R-naby - HipHop artist

ニューヨークに来てわずか三年、並々ならぬ努力を重ね、数々の苦難を乗り越えて年間150本のステージを披露するまでに成長。本場のHipHop業界でアジア人として前人未到の高みに挑戦する27歳。


対談者:Akimi Okuda

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ニューヨークに挑戦する前、この溜まり場でDJ Martinの挑戦を見ていたという彼。今、見る側から見られる側へと成長したスーパー努力家の潔い生き方に迫ります。

 
 

BIOGRAPHY

  • 14歳HipHopとの出会い
  • 17歳初ステージ。キャリア1年目から年間100本以上のステージをこなす。
  • 20歳絶対、音楽で見返してやる!と本気スイッチが入る
  • 23歳全国33カ所で自身最高のリリースツアー。HipHop magazine『411』や東京ラジオ局『792 TOKYO HOTLINE』にも出演。
  • 24歳ニューヨークに渡米。その四ヶ月後にBrooklynで初ステージ。この年、年間で30本のステージを披露。
  • 25〜26歳話題はニューヨーク全域に広がり、年間150本のステージを披露。NY FM99主催イベントに日本人初出演。ラスベガスでの『HisHop』、シカゴでの『606』に日本人初出演。NY TV音楽番組『MergnNYC』に日本人初出演。
  • 27歳年間ニューヨークにて150本以上のステージを披露。NY TV音楽番組『Sota tv』、NYラジオ番組『undergroundsection』に日本人初出演。7/21アメリカの超大御所レコード会社Def Jam『Def Jam private event』に日本人初出演。8/2 NY HipHopラジオ局Hot97のイベント出演。
  • 28歳2017年4月 ユニバーサルミュージック合同会社と契約 2017年 7/5 "Can't stop my squad EP" でデビュー "ニューヨーク" , MY LOVE 3in1 EP, Why you so cute?, On the way, 発売
  • 29歳10/20 メジャー 1st アルバム "THE R-NABY ALBUM" リリース
  • 30歳2019 1/11 1 feat DJ Kaz Sakuma リリース "K1 選手 平山選手 入場曲" "Im take you home" リリース 2019 4/30 2 MUCH EP発売 2019年 9月 米レーベルSONY "The Orchard" と契約 2019 9/18 The Orchard移籍第1弾リリース "Virus feat Toki" を発売

24歳本場ニューヨークでの挑戦へ

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― どうして海外に出ようと思ったのですか?
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当時の若かった勢いですね。それしかないでしょ。今から思えば「俺、海外でできるんじゃねえ!?」って言うバカな勘違い、変な自信があったんだと思う。

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― 勢いで飛び込んだって感じなんですね。
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20代はまだ勢いで飛び込める。それが30代になると悩んだり、本当に大丈夫かななんて思ったりするようになる。でも、結果を出すかどうかはその先の話で、実力はやっていくなかでついてくる。

要は、やるかやらないかの選択を迫られた時に、やると決めて飛び込める勢いがあるかどうかですね。

中学〜20歳HipHopとの出会いから本気で極める決意

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― HipHopとの出会いは?
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俺、姉がいるんすけど、その姉がエミネムが好きでよく聴いてたんですよね。で、あんたも聴いてみたら、みたいなことを言われて聴き始めたのがきっかけでした。それがいわゆるギャングスターラップっていうもので、歌われている内容が当時の自分の姿と重なって共感できて、単純にカッコいい、これヤバいって思ったんです。それからずっとHipHopばっかり聴いてましたね。

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― それまではどんな生活を送っていたんですか?
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昔から年上の人と遊ぶことが多くて、中学の時も例えば俺が中2の時は中3の先輩ばっかとつるんでて、同級生に友達はいなかった。

でも、自分が中3になると上がいなくなるじゃないですか。本当は友達が欲しかったけど、同級生の中では素直にそれが言えなくて、次第に他校の不良とつるむようになったんすよ。

で、俺って昔から目立ちたがり屋で何でも一番になりたかったから、不良の中でも喧嘩とかするからには一番になってやろうって気持ちで他の不良グループの頭とやりあったりして、結局16〜17歳で地元の不良の中で完全に頂点を極めたんすよね。

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― そこからどうやってHipHopの道に入って行ったんですか?
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俺は京都の西京区の出身なんすけど、隣の長岡京市っていうところの不良の頭と仲良くしてて、そいつがある日DJをやり始めたんすよ。で、その友達の先輩が今度イベントをするから、お前もHipHopやってみろよって言われて。

先輩から言われたことだから断りづらいじゃないっすか。それが最初のステージで30人くらいの小さい規模だったけど、ステージに上がると自分がその中心で一番になれた。そのスーパースターになったような感覚が自分には気持ちよくて興奮を覚えたんすよね。

 

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― そこからHipHopを本気で極めようと思ったのには、何かきっかけがあったのですか?
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本気になってHipHopに目覚めたのは20歳の時でしたね。HipHopの世界には地域ごとに派閥があって、当時、他の地域と「どっちの音楽がいいか」で張り合ったことがあったんすよ。でも、その地域の奴らの方が先輩だったから、後のことを考えると手出しができなくて、自分たちがただ殴られるしかなかった。

仲間たちが悔しくて泣いてる姿を見て、俺は絶対音楽で見返してやる!ってその時、本気のスイッチが入ったんやと思います。

上京最愛の彼女との別れ

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― そこから今に至るまでずっとHipHopの道を歩んでこられたわけですけど、その中で究極の選択を迫られた時はありましたか?
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上京する前に当時付き合っていた彼女と別れる選択をした時ですね。その彼女とは四年付き合って三年同棲していました。彼女の方が5歳年上だったこともあって、彼女は普通に結婚して子どもを産んでっていう女性としての幸せを取りたかった。

でも、俺は東京で夢を追いかけたかった。すごい好きやった彼女だったけど、自ら別れを選んで夢をとった。今まで一緒にいた人が突然いなくなって本当に辛さしかなかったです。

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― 別れを告げた時、彼女はどんな反応でしたか?
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別れる時に彼女から言われた言葉があるんですよ。「今、私と別れるんやから、絶対夢を叶えてや、絶対掴んでや」って。この時、別れを選んでいなければ、今の俺はいないですね。

24歳〜27歳本場での挑戦・苦難を超えて最高の自分へ

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― そこから上京して、成功して、さらにNYにまで来られますが、海外に出て初めて気づいたことはありましたか?
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日本の音楽の世界には年功序列があって、音楽を「あれは良い、これは良くない」と評価し過ぎ。こっちでは音楽は生活に根ざしているもので、そこに良いも悪いもない。

アメリカ人にとっての音楽は、日本でいう「いただきます」「ありがとう」「こんにちは」っていう挨拶と同じくらい、当たり前のものとして身近に存在しているんです。

これはもうこっちに来て、アメリカ人のコミュニティに入っていかなければわからない感覚なんすけど、例えば黒人の家に遊びに行ったら、お母さんとかが音楽に乗ってノリノリでダンスしてたりするんすよ。

こっちの奴らはそんな環境で育っている。そこからして日本とは感覚が全く違いますよね。

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― 本場の音楽業界はどうでしたか?
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こっちは頑張った分だけ結果に反映される、それも早いスピードで。日本よりもチャンスが多いから、努力した分だけお金でもなんでも早く反映されて返ってくる。だから一度その波に乗ると、面白いほど結果が早くついてくるんです。

 

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― 生活面では何かギャップはありましたか?
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こっちの奴らは適当すぎる笑。良い適当さもあるんすけど、時間にルーズだから待ち合わせなんてあってないようなもの。これはいまだに疲れる笑

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― 英語は問題なかったですか?
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全然ダメでしたよ。俺、中卒だし、学校でもテストで0点取ることを義務にしていた位やから、全くできなかった笑。でもこっちに来たら、クラブでステージやらしてほしくて連絡取り合うのでもなんでも、当然英語でやらなきゃ生きてけないわけですよね。

だからもう開き直って、取り繕うのでも、誤魔化すのでもなく、学ばせてほしいっていう気持ちで接していったんです。俺、全くわからへんから、教えてくださいって。で、わからない言葉が出て来たら、それどういう意味?って素直に聞く。そしたらみんな受け入れてくれるし、ちゃんと教えてくれます。

でもやっぱり大変だったから、これから挑戦する人には、せめて英語だけは勉強しておけよって言いたいですね笑

 

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― ニューヨークでの崖っぷち体験はありましたか?
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最初の4ヶ月間ですね。自信満々で来たのに、蓋を開けたら4ヶ月間ライブが一回もできなかった。こんなこと日本でもなかったし、はじめての経験だった。毎日努力はしていたけど、本場は思っていた以上に甘くなかった、誰がアジア人に振り向くかって話ですよ。

自分の出来なささにどうしたらいいのかわからなくなり、現実的に金銭面でも正直キツイと思った。もう無理だ、やめようと思って相当悩んで、親父に電話をしたんです。そしたら「帰って来たらいいやん。悔いが残らないならな」って言われた。その言葉がムカついたんです。

親父はいつもこういう何か裏のあるような言い方をするんすよね。単純に帰って来たらいいやん、だけ言えばいいのに、そのあとになんかムカつくようなことをあえて言う。でも、それがムカついたからこそ、このままじゃ終わらないと思って帰るのを思いとどまった。

そしてその一週間後に、歌わせてくれって飛び込み営業をかけたクラブで初ライブをさせてもらえて、そこから毎週来いと言われ、そのクラブで出会う人が増えて、ハウスパーティに行ってってどんどん道が拓けて行った。

もしあの時、親父のムカつく一言がなくて「帰ってきたらええやん」だけだったら、本当に諦めて帰ってしまっていたかもしれない。だから親父にはすごい感謝してる。

 

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― その辛かった経験が、今に生きているわけですね。
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その後も、泣きたいことも挙げればきりがないくらいあったし、悔しい思いも経験してきた。でもこの最初の4ヶ月があったお陰で、絶対に諦めないこと、そのための頑張り方を教わった。

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― 例えば、どんなことがありましたか?
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はじめてブロンクスでイベントのレギュラーを掴んだ時は、ステージに上がって俺がマイクを持った瞬間に、150人いた客が全員引いていった。それでも最後まで歌いきったけど、本当に悔しかった。

その時のライブのメンバーたちは俺のことを舐めてかかってきてたんですよね。だから、そいつらに「見とけよ、絶対に見返してやるからな。アジア人を馬鹿にすんな、俺のことを舐めんなよ!」って思った。

その次のイベントにも出て、客が全員引いている中で言ったんすよ、「お前ら全員引くぐらいなら、ちゃんと見ろよ、聴けよ!」って。そしたら戻ってきたんすよね。だから、そこでへたって出ないとかじゃなくて、そういうことはやっぱり言わないといけない。

振り返っても、悔しいことだらけ、失敗だらけ。でも名前が売れている人は絶対そういう思いをしてきてる。 

 

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家族親父の偉大さ

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― 崖っぷち体験でお父さんの言葉に救われたわけですが、お父さんの影響は昔から大きかったのですか?
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俺という人間は親父に作ってもらったと思っている。昔は喧嘩もしたし、万引きもしたし、捕まったこともあるし、勉強は全くしなかった。若い時には実際に経験してみないとわからないことがある。親父はそれを全てさせくれた。お前が納得するまでやってこいって。そのうえで「で、お前はどうしたいんや」と聞かれる。

実際、喧嘩も万引きもしてみると、あとが本当に面倒臭いってことがわかった。親父はそれを伝えたかったんやと思う。経験してはじめて、面倒臭いから次からはやらないと決めた。小遣いが欲しければ自分で稼げ、勉強しなくてもいいけど苦労するのはお前やから好きにすればいい、そんな感じ。

いつも親父に言われていた言葉が「人生一回きりなんやから、納得するまでやれ」だった。そこから中途半端じゃなくて、なんでも極める、納得するまでとことんやるっていう自分ができた。

だから、俺も子どもができたら、親父とまるっきり同じ育て方をすると思う、「自由に生きなさい」って。

野望『アカデミーをとれるような映画音楽を作りたい』

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現在並外れた努力で築き上げた前人未到の地位

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― NYに来られてわずか三年という短期間で、年間150本以上のステージを披露されるなど、日本人ラッパーとしてはまさに前人未到の位置まで来られたのは何故だと思いますか?
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誰よりも努力してきたこと。そこには自信がある。365日一日も欠かさずにひたすら努力を重ねてきた。本当に毎日欠かさずに努力を続けられる人ってそうそういない。でもそれを俺はしてきた。「よくやったな俺」って自分で自分を褒められるくらい。

そして、波が来た時にはちゃんとしっかり乗ること。つま先立ちじゃなくて、ちゃんと腰を据えて両足で立って乗りこなす。タイミングが来た時にちゃんと波に乗れるように、毎日努力して準備をしておくことが大切。普段努力していない人は、準備運動ができていないから、波に乗ったとしてもすぐに倒れてしまう。

 

これをしてきたからこそ俺は今ここまで来れたと思う。今年7月の超大御所レコード会社Def Jam『Def Jam private event』への日本人初出演、8月のNY HipHopラジオ局Hot97のイベント出演という日本人としての快挙を成し遂げられたのも、誰よりも努力を続けてきたから。

 

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― どうしてそこまでストイックに努力を重ねることができるんですか?
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人生は一回きりだから納得がいくまでやる、そう思ってるから。やるからには極めたい、そこはブレないし、自分を信じている。自分を信じていないとやってられないでしょ。他の誰でもなく、自分がやるしかない。だからスーパーストイック。

人生は一回きりってことは当たり前なんだけど、だからこそ意識していない人が多い。「人生は一回きりだから」、そのことを本当によく考えて欲しい。

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― 人生は一回きり、そうですよね。
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俺は一回きりだからこそ、この人生にかけている。自分がもし悩みを感じたとしても、失敗したとしても、そこからどうしたら成功するか、うまくいくかを考えアクションを起こす。例えばライブでミスしたら、それで悩んで止まるのではなく、練習すればいい。

それから、思い切り努力している姿は絶対に誰かが見ていて、そこからいろんなチャンスにつながっていく。これは、思い切り努力をして失敗したとしても成功したとしても同じ。思い切り努力することに意味がある。

だから、俺は夢を追っている者として、人の悪口は言わない、人のせいにしない、自分にルーズにならない、ただひたすらストイックに努力するんです。人のせいにした時点で、それは自分のせいだと認めていることと一緒。努力を極めた人だけに見える世界がある。このモチベーションキープもアーティストの仕事だと思ってます。

 

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― 他に心がけていることはありますか?
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悩まない、早く決断する。やりたいことをやっているんだから、悩む必要なんてないと思っている。考える間も悩む間もなく決断する。俺は来た仕事は全て即決で取るし、来てないものすら掴もうとしにいく。そうすると勝手に前に進んでいく。

それから、約束は必ず守ること。結局、この世界は人と人との関係で成り立っている。約束を守ることは、信用問題に関わってくる。信用できない人とは仕事はできないですからね。

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― そんな並々ならぬ努力を重ねたR-nabyさんの目の前には、今どんな景色が見えていますか?
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言葉にならないくらい、体の底から湧き上がる喜び、感情を味わってます。毎日が楽しくて仕方がない。今見ている景色はヤバいくらい最高で、いつ死んでもいい、今日死んでも悔いはないって言えるくらいの幸せを感じています。最高の人生を送ってきたし、これからも絶対そんな人生を送っていきます。

 

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未来人が認める成功者になる

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― これからの夢、野望、目標はありますか?
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ないですね笑。明日が目標、明日の成功、次のライブの成功、ただそれだけ。だって人生には明日しか来ないじゃないっすか。それを続けたら、自然と昔描いていた自分になっていましたしね。

これは目指す生き方にも関係してきますが、今は今しかない。だから今を生きるだけですね。音楽にゴールはないって思ってます。

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― じゃあ、ただひたすら今を生きる、その積み重ねですね。
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そう。でも、人が認める成功者になりたいっていう思いはありますね。お金をたくさん得るとかじゃなく。海外に出て来てさらに日本が好きだという気持ちが強くなったし、若い人たちがどんどん挑戦していくきっかけを作っていきたい。そのために努力して、誰もが挑戦しやすい道を作るのが、俺の第一人者としての役目だって思ってます。

365日努力するっていうのは、正直言って結構辛い。でも、頑張ってきたからこそ言えることがあるし、努力してきたからこそ発する言葉に重みがある。だから今まで努力してきた中で無駄だと思うことはひとつもないです。そこで出会った人、経験したこと全てが、お金にならない財産のようなもの。

もうここまで来たら日本に戻ることもないと思います。いつか「昔、R-nabyっていう人がいて、その人はアジア人が今まで入り込めなかった本場のHipHopの世界に道を作ってくれて、何十年以上もみんなに愛されたんだよ」なんて言われたいっすね笑。

 

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メッセージ人生は一回きりだから、自分の気持ちに正直に

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― これから海外へ出ようか迷っている人にメッセージを送るとしたら、どんな言葉をかけますか?
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自分の気持ちに正直に生きればいい。人生一回きりだから。心から挑戦したければすればいい、行きたいと思ったら行けばいい。全てを犠牲にしてどうなってもいいという気持ちがあるのなら、今すぐ挑戦すればいい。お金とかビザとかそんなものはあとからなんとでもなる。

でも、もし1%でも不安があったり、中途半端に悩む気持ちがあるのなら、それはどこかで挑戦したくない自分がいるということ。その自分の心に素直になればいい。

でも、自分が変われると思うのならそうなれる。夢を叶えられると思えば叶えられる。あとは、それを50%の力で信じるのか100%の力で信じるのか、変わることや夢を叶えることに対する本気度の違いが、そこから変わっていくかどうかを決めていくと思います。  

 

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インタビューから3年後 アメリカのレーベルから全米メジャーリリース

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限界を感じてデカいことに挑戦

-前回のインタビューからもうすぐ3年になりますが、あれからどんなことがあったんですか。

R-naby:まず、2017年の3月に、当時自分の中で一番デカかったことに挑戦したんですよ。今だから言えることなんですけど、その当時はショーケースとかいっぱい出てたものの、メジャーデビューの予定もなくて、自分の中で限界を感じていたんです。

-限界ですか、そこからどんなことに挑戦したんですか。

R-naby:ライブだけじゃなくて、みんなが今までしてなかったことに挑戦しなければなと持って、SOBsっていうNYで超有名なライブハウスがあるんですけど、そこで日本人が主催する初のイベントをしようと思ったんですよ。そこは日本でいうとゆずとか、アメリカでいうとドレイクとかの聖地と言われている場所で、俺もライブで11回くらい出てるんですけど、そこでイベントをするっていうのがヤバいと思ったんです。

―日本人初の主催イベントですか!?思いきりましたね。

R-naby:そうなんですよ、NY Japan Music Festivalっていうイベント名にしたんですけど、まずデポジットで5,000ドル必要で、全体の売り上げ目標が1万ドルという規模でやったんですよね。

-結構な規模のイベント開催を決断したんですね。どうやって実現までこぎつけたんですか。

R-naby:イベント自体は6月18日に開催することにして、まずは3月に会場契約をしに行きました。でも、売り上げ1万ドルのためには500人くらい呼ばないと帳尻が合わないんですよ。だから、そっから俺、宣伝のためにほんとライブめっちゃしまくったし、思いっきりバイトもしましたね。NY Japan Music Festivalっていうくらいですから、ニューヨーク在住の日本人アーティストもたくさんブッキングさしてもらいました。

-なぜそこまでデカいことをしようと思ったんですか。

R-naby:俺、これ成功したらまた違う道があるかなと思ったんです。今だから言えるんですけど、これがラストチャンスちゃうんかなと思っていて、それぐらいデカいことをすれば、メジャーにも引っかかるんじゃないかっていう思いがあったんですよ。

念願のメジャーデビューへの切符

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-メジャーですか!?

R-naby:そう、メジャーデビューがずっと俺の夢だったんですよ。だから、5,000ドルのデポジットも人からお金借りてまで用意したんですよね。それに、チケットがどれくらい売れてるかは1週間くらい前にならないとわからないし、周りの人が協力してくれないと1万ドルなんて無理なんですよ。お金も借りてるし返さないとやばいじゃないですか。で、そういう活動をフェイスブックであげてたんですけど、ある日、俺がSOBsに向けて新曲を出したい!みたいな投稿をしたんですね。そしたら、ある人からメッセンジャーで連絡が来たんですよ。

―誰からメッセージが来たんですか

R-naby:ユニバーサルミュージック合同会社(UMJ)の人からでした。それも、「これまでの4年間の活動をずっと見てました。もし事務所がまだ決まっていなければ、うちと契約しませんか?」って来たんですよ!

-それってまさか!?

R-naby: そう、念願のメジャーデビューです!

―どうやってそんな人と知り合ったんですか

R-naby: 実は昔、ニューヨークに来たばかりの頃にバイトをしてたところがあって、その場所にたまたまUMJの人達が遊びに来てたんですよ。で、そのうちの一人の方とフェイスブックを交換したんですよね。でもその時は俺、その人がUMJの人だとは知らなかったんです。

―え!?知らずに交換したんですか

R-naby:俺、あんまりどういう人なのかとか調べないんですよね笑 それからその人とメッセンジャーで3ヶ月に1回くらい連絡しあっていて、「相変わらず音楽頑張ってますね」とかメッセージをくれたり、ライブの投稿にもいいねとか結構つけてくれてたんです。でも、俺からすると、「誰なんやろうこの人?」っていう感じで笑 一回しか会ったことないのに、結構気にしてくれてるんやなみたいな。

-へえ~そんな出会いがあったんですね

R-naby: そうなんですよ。だから、そんなメッセージを突然いただいて俺も「え!?」ってなって、そこで初めてその人のフェイスブックのトップページを見て、この人UMJの人なんや!って知ったんですよ。

―それはびっくりですね!

R-naby: 俺もほんとにびっくりして、メッセンジャーで今から電話していいですか?って言って電話して、俺も待ちに待っていた話だったから、その場で「とりあえずやります!」っていう返事をしました。それが3月でした。

-SOBsでのイベント契約をしたのと同じ月だったんですね。

R-naby: そうなんですよ、その3日後くらいだったんですよ!

-え~!!

R-naby: そこから4月にUMJと正式に契約して、デビューの日が7月5日に決まって、3曲入りのEPを出すことになったんです。でも、イベント開催が6月18日だから、日が近いですよね。だから、こっからが大変だったんですよね。

-何が大変だったんですか

R-naby: EP制作費は俺が全部負担したんですよね。「極力全部こっちでやります、そのかわりある程度自由にさせてもらいます」っていう条件にして。でも考えてみたら、メジャーの作品っていうことは、ミュージックビデオとか一曲の制作費とかで結構お金がかかるんですよ。しかも、18日のイベントのために1万ドルも用意しないといけなくて、「お金が!」ってなりました。だからメジャー契約したのは良かったんですけど、そこから地獄のバイト生活が始まって、もうそれが一番大変だったんですよ。

-その大変さの中で、イベントもやって、デビュー準備もやって・・

R-naby:そう、でもまず6月18日のイベントは見事成功しました!400人くらい入ってくれて、プラスみんながお酒をいっぱい飲んでくれたんでバーの売り上げもあって、結果、売り上げが1万300ドルだったんですよ。そのプラスになった300ドルと、あと失敗したときのためにお金貯めてたじゃないですか。それが浮いたんで、そのお金をかき集めてミュージックビデオとか撮ったんですよ。

-なるほど~!全部がうまくまわっていったんですね。

R-naby: ただ、デビューに関しては、EPは日本のみの発売で、アメリカでは一切発売されないという条件でした。でも、俺の活動拠点はアメリカなので、発売に向けて日本でのマーケティングはできなかったんです。それでもメジャーだから結果を出さないといけない。俺の中の予想では、デビューしたらもう20位以内に入るって思ってたんですよね。でも、結果はiTunes193位。現実を知って、やっばーってなりましたね。

-その現実と予想のギャップを知ってどんな気持ちでしたか

R-naby: 悔しかったですよ。SOBsのイベントを成功させて、メジャーデビューもして、俺はスターに登ってやるんだっていう階段を自分で想定してたんですよ。だから、俺ん中ですっごいショックでしたね。しかも、デビューがダメだったら2作品目もダメなんだって聞いてたから、もうダメなんかなあと思いました。でも、こんなところでやめたくないし。せっかくチャンスをつかんだし、日本に帰る気もなかったんですよ。

-そこは強い意志があったんですね。

R-naby: 周りからは色々言われたんですよ、日本に帰ったほうがいい、契約もUMJとなんだから、日本で真剣にやったほうがいいって。でも、そもそもアメリカに来た理由は、アメリカで成功したい、そしてアメリカでメジャー契約したい、アメリカのレーベルと契約したいっていうのがあったから。だから、色々考えたんですけど、やっぱり俺は日本に帰りません、結果出すんでもう1回曲を出させてくださいってお願いしました。やっぱりアメリカでの活動だけで日本の上位チャートに食い込みたいっていう気持ちがずっとあったんです。

結果がすべての世界で音楽をする意味を見失いかけた

-それでどうなったんですか

R-naby: その3ヶ月後の10月28日にセカンドシングルを発売することが決まりました。俺はそれが今度こそラストチャンスだって思いましたね。これで結果出さなければ本当にやばいって。

-結果を出すっていうことで、結構追い込まれている感じがあったんですね。

R-naby: 今まではメジャー契約っていう一つの夢を叶えるために頑張ってきた。でもメジャー契約をした後は、結果を求めるようになったんですよ。それが今までとの大きな違いですね。

-メジャーって厳しい世界なんですね。

R-naby: メジャー契約を叶えたら、そこからまた一からの挑戦なんですよ。だって、こう言われましたもんね、「R-nabyがニューヨークで1本ライブしようと20本ライブしようと、結果なんですよ」って。20本もライブやって売り上げが出なければ、あなた何のためにライブしてるんですかっていうことなんです。メジャーって結果を出した人がものを言えるところなんですよね。

-どうですか、そんな場所に実際に身を置いてみて

R-naby: 結果のためにっていうところに考えが急に変わっちゃって、自分自身がついていけなくなりましたよ。そこからは結果のための音楽に変わっちゃいましたね。なんか、楽しめてなかったんです、音楽っていうものを。お金と音楽になってましたね。音楽はセールスを上げるための活動だって。

-音楽が単なるセールスを上げる活動になってたんですね。

R-naby: そう、全ては作品のセールスのための活動。そんなことをしながら、これが本当に正しい道なのかとか勝手に勘ぐっちゃうんですよ。前の自分の方が良かったなとか。そう思っている時って、やっぱりうまくいかないですよね。

-それって結構大きな変化じゃなかったですか

R-naby: めちゃめちゃデカいですよ。結果を出すためにはどうしたらいいんだろう、しか考えられなくなったんですから。もうノイローゼになりますよね。でも、結果っていうたった二文字から逃げたくなかったんですよ、絶対に。だから、セカンドシングルに向けてマーケティングチームとめっちゃ考えて、こういう投稿をして、ここでライブしてっていう、見せ方を徹底的に考えて実行していきました。

-ほんとギリギリのところでの挑戦だったんですね

R-naby: もうこれが一生の思い出でいいやって思ったんですよ。だから、曲のタイトルもずっと記憶に残るものにしたいなって思いましたね。メジャー契約をした、しかもそれをニューヨークでできたっていうことで、セカンドシングルは「ニューヨーク」っていうタイトルにして、これが最後の曲っていうことで出したんですよね。

-それだけ思いを込めた曲だったんですね。結果はどうでしたか

R-naby: 今度は100位切らないとやばいと思ってたんですけど、結果は96位。めっちゃ嬉しかったですね。で、結果が上がったっていうことで、翌2018年の1月に、作品をもう一回出すチャンスをもらえたんです。でもそこでトラブルが発生したんですよ。

メジャー契約終了の危機からの・・・

-何があったんですか

R-naby: 俺を引っ張ってくれたUMJの人が2月で退社するっていうことになったんですよ。その人が退社するっていうことは、俺の契約もそこで終わるっていうことなんです。で、1月の作品を最後にしてくれって言われたんですよ。マジでーとか思いましたよね。

-それはかなり重大なことですよね

R-naby: 自分がやっとゲットしたメジャーっていう看板が降りることを意味してたから、本当に怖かったですよね。そんな中、とりあえず1月に作品を出したんですよ。結果は「ニューヨーク」と一緒ぐらい。で、そこで終わっちゃったんですよね。その時はもう自分の中で精神的に病んでたんですよ。だからライブする気もなくて。でももうインディーズには戻りたくなかった。

-結構な落ち込みですね。

R-naby: 自分が憧れてた看板が取れるって、こういうことなんだって痛感しましたね。音楽で嬉しい経験もするけど、音楽のせいでこんだけ辛い経験もするもんなんだって。

-本当にそこでメジャーの道は途絶えてしまったんですか

R-naby:  それが、UMJとの契約からちょうど1年経った3月、「R-nabyさんSONY music entertainment(SME)に移りませんか?」っていう連絡があったんです。

-え!?また新たな動きが?

R-naby: そうなんです。「SMEに移るか、それとも自分でレーベル会社を作って、その会社としてUMJと契約することもできますよ、どっちにしますか?それだとメジャーに残れますよ」って言われました。で、もう少し詳しく聞いてみると、SMEに移ったとしても発売は日本のみ。一方で、もし会社を作ってUMJと契約できるのなら、本社はアメリカだから、アメリカでもストリーミングのみOKですよっていう許可が出たんです。でも、会社作って契約するってどういうこと!?ですよね笑。で、そっからねーちゃんに電話して、ちょっと悪いけど俺の個人事務所を作ってほしい、それをしんともう音楽やめなあかんからってお願いしたんですよ。ねーちゃん二人子供がいるんで、最初は「そんなん無理!」って言われたんです。でも頼る人がねーちゃんしかいないですから。ねーちゃんもしょうがなく、5ヶ月間くらいかけて会社作ってくれたんですよ。

-自分の会社を作っちゃったんですか!

R-naby: その5ヶ月間は俺ほんまもう大変だったんですよ、精神的に。5か月間が1年くらいに感じちゃうほどめっちゃ長く思えて。ねーちゃんは「絶対あんた成功しいや!」って感じで弟のためにやってくれたんですよね。そこでねーちゃんの愛を感じましたよね。

-それってすごい深い愛ですよね。

R-naby: 俺、アメリカ来てから一度も日本に帰ってないんですよ。だからねーちゃんとも電話のやり取りだけで、それなのにそこまでやってくれたのが有り難かったですよね。そのおかげで、2018年7月に自分のNYCDレコーディングっていうレーベルを立ち上げて、UMJと契約して、 “Why you so cute ?”っていう曲で世界進出したんですよ。その曲は結果的には、ニューヨークでは70位とかそんなんだったと思います。次に “On the way”っていう曲を出して、それが30位切ったんですよ。

-お~!めっちゃ上がってくるじゃないですか!

R-naby: その結果、UMJからアルバムを出していいですよっていう許可が降りて、2018年の10月20日にメジャー1stアルバム “THE R-NABY ALBUM”を出すことができました。メジャーデビューしてから1年半くらいかかってようやくアルバムを出せたんです。

周りに支えられたから、今の俺がいる

-その時の気持ちはどうでしたか。

R-naby: 苦労したっていうか、周りに支えられたっていう感じで。

-周りに支えられたっていうのが一番最初に出てくるんですね。

R-naby: いやー周りに支えられてなければ、今の俺自体が存在してなかって思います。俺じゃなくて周りが全部やってくれたから出来たことなんですよね。俺はただ単に曲を作ってライブするだけですから。

-周りにはどんな方がいらっしゃったんですか

R-naby: メジャーっていうステージに上がっていったら、今まで寄ってこなかったプロの人たちが周りに集まってくるようになったんです。例えば、カメラマンだったら、カメラの道を一生懸命突き進んでいる人、プロデューサーだったら、その道をほんと突き進んでいる人たち。そういうそれぞれの道を極めている人たちが周りにいるようになって、みんな本気の人たちが集まってきて協力してくれるっていう環境になりました。そこで自分が頑張れば頑張るほど信頼も増していったんですよね。メジャーデビューしてからはお金とセールスのために音楽をしてきたんですけど、そういう周りにいる人たちを見て、ファーストアルバムを出した時に「俺はこの人らのために音楽せなあかんな」って思ったんですよ。


-周りにいる人が変わったことで、心境の変化もあったんですね。

R-naby: 結果ここまで来れたってことは、みんなが俺に投資してくれたからなんですよね。だからちょっと大袈裟かもしれないですけど、俺がもしダメになったら、その人たちもダメになるってことなんだと思って、そこで俺はもうケツに火がついたんですよ笑

-周りにいる人のためにもっていうふうに意識が変わったんですね

R-naby: お金とかセールスって大前提なんですけど、それよりも俺はこの人らのためにセールスをあげようって思うようになったんです。それまでは会社とかレーベルのためとか色々あったんです。でも、俺がセールスを上げれば、協力してくれている周りの人たちがハッピーになっていくんですよ。それを実際に “why you so cute ?”とかアルバムのセールスが上がることで経験して、だからこそ、周りに感謝するようになったんですよね。気付いてみれば、本当はいっぱい自分の周りに人がいたんですよ。

-3年前には予想もしなかったところに今いるんですね

R-naby: 本当にそう。UMJと再契約してから、なんか「これか!アメリカン・ドリームは!」っていうのをちょっとずつ感じてきましたよね。会社も設立できて、サクララジオさんっていう全米で一番大きい日本のラジオ放送局で自分の番組も持って、メジャーのファーストアルバムも出せて、想像してた以上になったなって。夢で見た自分がそこにいるっていう感じですね。心臓が浮く感じでソワソワするんですよ、「やっばー俺」っていう感じで。

-まさに夢の中を生きてるっていう感じなんですね

R-naby: そうそう、現実かどうかがわからなくなるんですよ。これってまじか!?みたいな笑 でも、ここでまた壁があったんです。

やること全部やって燃え尽き症候群に

-えーそこでまた!?

R-naby: アルバムを出した後、アメリカで24公演のライブツアーをやったんですけど、そのツアーが終わって燃え尽き症候群みたいになったんですよ。自己満足しちゃって、「もういいや~!もう俺ここでやめていいかな」って。やること全部やっちゃって、次の目標がなくなっちゃったから、病んでたんですよね。3週間くらいそんな状態でした。

-その時はどんな心境だったんですか。

R-naby: もう生き切っちゃった自分がいて、次何したらいいかわからなかったですよね。あと、次の作品はアルバム以上の結果出せへんわって思ってたっていうか、次の結果が下がるのが怖かったんです。結果を出すっていうことは、次の挑戦がしづらいっていうこともそこではじめて知りました。だから、良い状態でやめるっていうのがいいなと思って、もう目標ないし、音楽やめよっかなっていうことまで考えましたね。

-でも実際はそこで音楽はやめなかったのは何故ですか。

R-naby: そんなある時、K-1の平山選手の入場曲を手がけてくれっていう話が来たんですよ。

-入場曲ですか!?

R-naby: 俺って実は格闘技が大好きで、K-1ももちろん大好きで、いつか入場曲作りたいっていうのがあったんですよ。だからその話をもらって、俺の燃え尽きてた炎がボワーっ!ってなったんです。キタキタこの感じ!っていう。平山選手は同い年で、しかも関西人同士で結構共通する部分もあって、張り切って作って、2019年1月11日にその入場曲 “1 ft DJ Kaz Sakuma”を発売しました。そこでエナジーが戻ってきた俺は事務所側と色々話して、「R-nabyさん、じゃあ4月にEP出しますか?」っていう話をもらいました。

-その時はどんな心境でしたか

R-naby: これで9作品目になったんですけど、自分の中では、前よりも絶対結果下がるやん、厳しいなあと思ってたんです。でも、平山選手も挑戦してるって言ってたし、俺も挑戦せなあかんなって思って、4月30日の2MUCH EP発売に向けて、怒涛のライブを36本くらいしたんかな。この時も、仲間のため、ねーちゃんのため、人のために俺は金を生もうと思ったんですよ。で、結果は4月30日にアルバムチャート8位。

-うわー!めっちゃすごいですね!

R-naby: もうハッピーしかなかったですね。そっから今に至るまでは、ライブツアーを19公演アメリカで行なって、ちょうど8月にラスト公演を迎えたんですけど、この時に自分の中でもうメジャーはいいかなって悟っちゃったんです。

-もうメジャーはいい?

R-naby: もう自分のレーベルNYCDレコーディングスで戦えるんじゃないかって思ったんです。周りもUMJ側も「もうやることやったよね、もう独立したほうがいいんじゃない?完全に」って言ってくれていました。でも、そこでまたSMEから契約の話が来たんですよ。でも、断ったんですよ。

-えー断ったんですか!?

R-naby: そう、もう俺やってみたいと思ったんですよ、自分で。今までは怖かったけど、メジャーっていう看板を自ら下ろそうって。

-すごい決断ですね。

R-naby: 2年前はあんだけメジャーのために頑張ったんですよ。でも、そこから実際メジャーで頑張ったからこそ、もう自分でやりたいっていう気持ちの変化があったんですね。

アメリカのレーベルから全米メジャーリリース

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-じゃあ、そのあとは独立して活動されたんですか。

R-naby: それがですね、独立も宣言して、初シングルの発売日まで決めて、著作権まで全部取った時に、日本のレーベルから「アメリカのThe Orchardと契約しませんか?」っていう話が急に来たんですよ。俺、そのレーベル知らなかったから、最初は発売日も決めてるし、もういっかーって感じだったんです。でも、アメリカから資料が来てるから一応目を通してくださいって送られてきたものに目を通したら、「え!ここ!?」ってびっくり!

-どんなレーベルだったんですか

R-naby: アメリカのSMEの中のレーベル会社で、一応アメリカのマーケティングが基本ですって言われたんですよね。それをチームに持ち帰って話をした結果、「アメリカのレーベルってそうそう経験できるもんじゃないから、挑戦したら?」っていう結論になりました。そこから、やっぱ独立やめる!ってなって、全部キャンセルして、契約して9月18日にThe Orchard移籍第1弾として “Virus feat Toki”を発売したんです。

-独立をやめて、まさかのアメリカのレーベルデビューですか!!

R-naby: そうなんです。来年3月にはアメリカレーベルでのメジャーファーストアルバムをリリースする予定で、今はそれに向けて頑張ってます。

-2016年には全然見えていなかったところに今いるんですね。

R-naby: これから契約期間が2年くらいあるんですけど、もっと色々経験したいですよね、もっと悩みたいし。

バカみたいな物語を描いて、その人生を生きる

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-今までアップダウンもあった中で、ずっと挑戦し続けられてきた原動力はどこにあったんですか

R-naby: 昔と変わらず音楽が好きっていうことと、あと、俺には、音楽しかないんですよね。それが一番大事な部分で絶対にブレない。結局は俺みたいなバカで不器用な奴は一つのことしかできないんですよ。30歳にもなってこれを続けられてるってことは、一種のバカですよね。これくらいバカじゃないとやってけないんですよね、アメリカだと。

-R-nabyさんにとってバカになるってどういうことですか

R-naby: 俺にとってのバカは、俺の生き方じゃないっすかね。例えば、4年前にこの人生を作文に書いたとしましょう。でも人は、バカみたいな物語を作って、そんなの実現するなんて無理でしょっていうでしょ。でも、俺はバカみたいな物語を当時から作ってたらいいと思うんですよ。人が、あいつバカみたいな人生を作ってって言うような人生を描いて、実際にそうなっちゃたら、それでよかったなって思うんですよね。

-それを成し遂げられたのは何故だと思いますか

R-naby: 俺、音楽の才能なんてないんすよ。でも、一つだけ才能があるとしたら、それは、一つのことを頑張れるっていう才能だと思うんです。だから今の自分があるんですよ。

-しかも、ものすごい頑張りですよね。

R-naby: アメリカでやってる規模がデカすぎてすごいってよく言われるんですけど、俺はすごいことをやってるっていう意識はなくて、ただ好きなことをやってるだけなんですよ。それを毎日するか、3日に1回するか、1週間に1回するかの違いなだけなんだと思うんです。

-これからの目標はありますか

R-naby: とりあえず来年くらいは、全米トップ40とかで日本人初のチャートインとかしたいですよね。これもバカみたいな話ですけど、でもそういうバカみたいなことを想像してたらいいと思うんです。それが一番大事なことだと思うんですよね。

自分の気持ちに正直になる、そしてオープンでいる

-やりたいことがあっても飛び出せない人たちもいると思うんですけど、そういう人たちにはどんなことを伝えたいですか?

R-naby: まず、海外に飛び込みたいって思ってる人に言うと、気持ちに正直になったほうがいいかもしれないですね。自分が行きたいと思ったら、3週間以内に行くべきかなって。じゃないと心の変動が起きて、やっぱやめとこうってなると思うんですよ。行こうと思ったら、お金が厳しくても早めに来たほうがいいと思うんです。来たらなんとかなるんですよ。だって俺がそうなんですから。だから、人に相談するよりも、自分の意思で来てもらいたいなって思いますね。

あとは、海外って日本以上になりたい自分になるって難しいって思うんですよ。生活面とか言葉の面とか、特にアジア人っていうのもあるし。でも結局それって自分で評価してるんですよ。日本人やし、とか、ああ思われてるんちゃうかなっていう。でも、実際はそこまでみんな深く考えてないっていうのに気づくのも、一つの近道だと思うんです。例えばダンサーさんだと、私って下手くそだよねって思ってても、アメリカではみんなそんなの気にしてないよっていうレベルなんです。自分が自信がない故に自分のことを気にしちゃってると、余計と自分を出せないんじゃないかなって思うんですよね。あなたが思ってる以上にみんな特に何も思ってないですよ。

-気にしてるのは自分だけってことですね。

R-naby: それは英語に関しても言えることですよね。英語ができないことを気にしてる人も結構いっぱいいるんです。でも、誰も気にしてないし、完璧を求めてないんですよ。日本人って変な真面目さで完璧にしなきゃいけないって思ってることが多いと思うんですよ。俺も昔は気にしてましたからね、見られ方とか。でも、アメリカ人と一緒にずっといると、彼らは人のことなんてどうでも良さそうなんですよね。それを発見して、じゃあ自分でいっか、みたいに思えるようになりました。なりたい自分になるには、もっと自分をオープンにしていかないといけないなって思います。俺はオープンにしすぎて、ジャパニーズアメリカンって言われるんですけど笑、それくらい行っちゃったほうがいいんじゃないって俺は思うんですよね。

-ジャパニーズアメリカンって言われるくらいにオープンになれと笑

R-naby: それくらいしてても、まだまだだなって思います。いい意味でクレイジーになったほうがいいなと思います。

-これからさらにどうなって行くんでしょうね

R-naby: 自分が想像してることってスーパースターなんですよね笑 

-次の3年間もまた予想もしないことを経験しているんでしょうね

R-naby: 3年後もまたインタビューをお願いします笑

-3年後の自分へ何かメッセージはありますか

R-naby: そうですね

「バカな夢は叶えたかい?叶ってたら、あなたの道は正解だったんだよ。」

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3年後は、この質問に回答するところからインタビューを始めましょう笑

R-naby - HipHop artist

海外飛び出し年齢:24歳

ニューヨーク(在住経験地:,

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