森茉実子(Mamiko Mori) - モデルメイカー
死ぬまでなんでもいいから好きなもの作ってたい
手掛けた作品は、Louis Vuitton (ニューヨーク、フランス、東京、イギリス、シンガポール) Dior (ニューヨーク)Berluti (ニューヨーク、フランス、東京) Dries van Noten など世界中のウィンドウディスプレイに飾られるだけでなく、世界主要都市の広告やCM、マガジンにも使われている。 「死ぬまでなんでもいいから好きなもの作ってたい」 という彼女は、作るのが好きでとにかくなんでもつくる。半年間のバケーションのつもりが、あれよあれよのうちに4年。ニューヨークに来る前には思い描いていなかった人生を、今まさに歩み続けている彼女の生き方をLIVE.
対談者:Dragon
フォトグラファーゆうすけさんの紹介。TAMARIBA NEWYORKにも2回参加してくれる。人見知りでおっとりした性格だが、自分がやりたいことには一切の妥協がない。半年のつもりがはや4年と、いかにもニューヨークな生き方をしている彼女を溜まり場に勧誘!
27歳モデルメイカーとして働く
ウインドウディスプレイやTVコマーシャル等の為に小道具やフィギュアなどを制作しています。
はい(笑)
23歳渡米。ジュエリー制作のインターンをする
日本で就職活動もしてたんですけど、あまりしっくりこなかったんです。はじめは大企業の説明会に行ってみたんですけど、会社が大きいとデザイナーって本当にデザインするだけで、実際には物を作れないってわかって。
そうなんです。でも私は立体を作りたかったので、それで今度は中小企業をまわってみたんですけど、なんかデザインがすごく軽く見られてる感じがしたんです。デザインを始める前に、まず営業を最低五年はやってくれ、って言われたり。
ですよね。五年もブランク開けられない。だから、職人に弟子入りしようと思ったんですけど、何の素材を使う職人にするか決められなくて。紙も木も石も好きなので、結局絞ることが出来なくってどこに入ればいいのかわからなくなったんです 。それでもう就活も辞めて、バケーション行こう!って。お金貯めてニューヨークに半年行くことにしました(笑)
そうですね、半年って決めてましたし。ニューヨークを選んだのも、兄がドイツにいるんで私はアメリカだ、くらいです。あとその時付き合ってた彼氏がニューヨークにいたってのも実はありますけど(笑) とりあえず語学学校に入ってこっちで生活を始めました。
24歳モデルメイキングに出会う
そうですね(笑) ニューヨーク滞在二ヶ月目くらいで、やっぱりものづくりがしたくてうずうずしてきて。学校帰りにホームセンターとかに行って、素材とか見たりして何か作れないかなって思ってたんです。
そんな時に日系の掲示板でジュエリー制作のインターン募集を見つけて、興味もあったので働き始めました。結局9ヶ月くらい働いたんですけど、ジュエリー制作の基本は学べたしもっと大きい物が作りたくなって辞めたんです。
その時、同じ会社でインターンしてた子がいたんですけど、その子がカフェでもバイトしてて、そこのお客さんがモデルメイカーを探してるって教えてくれたんです。そこはプロップ(*撮影用の小道具、模型など)をメインに作るところだったんですけど、そこで短期で仕事させてもらうことになりました。期間が終わった後も、雇い主がそのまま続けていいよ、って言ってくれて、10ヶ月くらい働き続けることになったんです。
25歳自分の関わったウインドウディスプレーを見て感動
辞めたというより、半分クビになったみたいなものですけどね(笑)
いえ、全くです。お金もないしもう日本に帰ろうかなって思ってました。
そうなんです。これからどうしようかなって考えてた時に、たまたま今の会社で短期のお話を頂きました。それがルイ・ヴィトンと草間彌生さんのお仕事だったんです。あの人形が公開される時、カーテンがガバって開いて人形がお客さんたちの前に出てきた時に、「これだ!」って思いました。
そうですね。実は父も仕事でディスプレイのお仕事をやってたんです。小さい時に父に連れられて「このディスプレイ、お父さんが作ったんだよ」って見せてもらったこともあって。それがあの瞬間に思い浮かんで、「あぁ、 私はお父さんの子供なんだな、自分は父と同じ道にいくんだな」って感じました。
ありがとうございます。半年って言ってきたんで、母親には話が違うって言われてますけどね(笑)
ほんとですね。皆出てきたらいいのに、って思います。バケーションでも人生変わるかもしれないですもんね(笑)
19歳日大芸術学部デザイン学科に入学。
好きでした。しかも、演劇やピアノも好きだったし、俳句とか読書感想文で賞もらえたりもました。
そうですね。昔から何か自己表現として作品を作りたいという思いはあまりなくって。大学では電化製品や家具、雑貨などを消費者の立場に立ってデザインする、ということを学んでたんですけど、誰かの為に、って考えるとこが楽しかったんです。今でもクライアント等の需要に対して喜んでもらえるものを作る、ということが好きですし、またそれが向いてるじゃないかなって思ってます!
野望日本で独立したい。
最終的には日本に帰りたい、って思ってます。やっぱり好きなんですよね。日本が。だけど、日本で働こうってなった時に自分に向いているところがなかった。だから、日本で自分で独立して、自分のやり方で仕事を出来るようになっていきたい、って思ってます。日本にいる時は、全くそんなこと考えてなかったんですけどね。
また草間彌生さんのプロジェクトに参加した時に感じたんですけど、あの時は人形を全部で13体作って、それが世界中に送られたんですね。その時に、なんでわざわざNYで作るんだろう?って思ったんです。送料だけでも何千ドルってかかるのに、どうして現地で作れないんだって。
それで一番の問題はコミュニケーションじゃないかなって。日本に限らず、職人さんて共通言語である英語を喋れない人も多いのが現状で。そういうところで役に立っていけたらと思っています。
生き方死ぬまでなんでもいいから好きなもの作ってたい
死ぬまで何でもいいから好きなもの作ってたいですね。ものづくり始めてから、大学でもバイト先でもNY来てからもずっと毎日のようにつなぎを着て作業をしているので、つなぎが似合うカッコいいおばあちゃんになりたいです(笑)
贈る言葉一歩踏み出してみると、意外と上手く転がっていったりするもんなんですよね
もちろん海外に来る人の中には自分に自信があって、やってやるぞー!みたいな人も多いけど、あたしみたいに優柔不断で、ビビリで、でもなんかしたくって、みたいな人もいるんです。でも一歩踏み出してみると、意外と上手く転がっていったりするもんなんですよね。だからやっぱり思った時がタイミングなんじゃないかなぁ。とりあえず、その時々の自分の気持ちに素直に行動してみればいいと思います。バケーションで人生変わることもあるし(笑)
あと出会いは大切に、ですね。
BIOGRAPHY
- 00歳神奈川県川崎市に生まれる
- 02歳父のアトリエで作品制作の手伝い、のつもり
- 03歳ピアノを習いはじめる
- 04歳将来の夢に"彫刻家"と書く
- 06歳交通事故に遭う
- 06歳埼玉県川越市に移る
- 07歳水彩画を習いはじめる
- 09歳合唱団に主席で入団
- 12歳演劇に興味。夢はミュージカルスター
- 13歳器械体操部。バク転の日々
- 14歳なぜか文才が開花。賞状いっぱいもらう
- 15歳美術か音楽か文学か演劇か将来を悩むも、まぁ日芸なら何でもあるし、ということで高校を決める
- 16歳日大豊山女子高校に入学
- 17歳インダストリアルデザインに興味。恩師と出会う
- 19歳日大芸術学部デザイン学科に入学。入学祝いにNYに連れていってもらう
- 20歳造形屋でおっさん達に紛れてバイト
- 21歳デザインの賞をいくつかもらう
- 22歳夏休みにNYで1ヶ月過ごす
- 23歳渡米。ジュエリー制作のインターンをする
- 24歳モデルメイキングに出会う
- 25歳自分の関わったウインドウディスプレーを見て感動
- 27歳モデルメイカーとして働く