戸上恭丞(Kyosuke Togami) - パーティオーガナイザー
世界を繋ぐ
ニューヨークタイムズスクエアにあるラウンジ「TheGraceHotel」を貸し切り、毎月イベントを主催している、戸上恭丞。 パーティのオーガナイザーと聞くと、ちゃらちゃらしてそうなイメージがあるが、実は彼はクラブもパーティも酒も嫌いで、遊びではほとんどクラブには行かないという。 そんな彼がパーティを主催する理由は人と人の出会いを創りたいから。 アーティストどうしをつなげたり、価値のある新しい出会いを提供できることに喜びとやりがいを感じている。 何を始めてもダメだったと語る彼は、歌もダンスもコミュニケーションもすべてできるまで努力して克服してきた。 そんなあきらめない男、戸上恭丞の生き様をLIVE !!
対談者:Dragon
毎週開催される謎の革命軍会議の仲間。共通の友人を介して仲良くなる。ニューヨークでちゃらいといえば、きょうすけとは良く聞いていたが、実際仲良くなってみると、超ピュアやった。誤解されやすい男だなって思った。まっすぐでかい野望に燃えるきょんちゃんの生き様を、LIVE!
18歳呼び出し5回目でついに、退学
すでに4回停学くらってて、
次は退学だって言われてたんだよね。
それで4回目の停学中に
夜図書館でダンスしてたら
教頭に見つかって。それで退学させられた。
いや学校めっちゃ好きだった。
19歳アクタースクール文学座に合格。俳優人生スタート
いやどっちかといったら全部できんかった、
なんせ超不器用だったから。
小さい時からずっと不器用で、
何やっても出来なくて
そんな自分が嫌で嫌でしょうが
なかったんだよね。
器用に何でもこなすやつみてくやしくて、
全て克服しようと心に決めてた。
いまはこういう仕事してるけど
もともと話すのも超苦手で
人前にでるのもビビってた、
そんでビビりながら
六本木の会員制バーの面接受けて、
ここで克服しようって思った。
まず逃げ場無くそうと思って。
確かに年数はかかったけど、
諦めずに自分信じてきてよかった、
ようやくそう思えるようになったよ。
23歳俳優を辞めて、ニューヨークに行く事を決意
全く知らない環境に身を置きたくて、
ずっと、どこか海外に行こうとは思ってた。
じゃあ、どこかにしようかって考えたら、
やっぱりアメリカだった。
今度は自分がずっと苦手で
避けて通って来た
”英語”を克服して、
どこまで勝負出来るか試したかったから。
で、アメリカのどこかってなるとニューヨークしかなかった。
世界中から色んな人種が集まる刺激的な街だし、
なにより自分の感性はずっと磨いていたいって思ってたから。
ほんとできんかった!
I amのamってどういう意味?
って状態だった。
だからほんと勉強したよ。
日本人に話しかけられても
全部英語で返してたからね。
「元気?」って聞かれたら
「Im good」って答えてたしw
日本人の友達できなかったよね。w
だからといって
英語も完璧に話せた訳じゃなかったし
外国人の友達もできんかった。
ずっと一人で行動してた。
相談する相手もいなかったから、
古い携帯を最新型だってだまされて
$400払った事もあった。W
クラスでは一番質問するようにしてた。
でもみんなにバカにされてたけどね。
あいつなんでそんなんもわからんのって
先生にもバカにされてたこともあった。
そんな感じで初めの4ヶ月頑張ったけど
やっぱり話せなかった。
それから学校はだめだと思って、
覚悟を決めてアメリカ人コミュニティーに飛び込んだ!
幸い俺はダンスちょっと踊れて、
ダンサーの友達っていう
のがいたから、
もっとそいつらと積極的に話すようにしたんだ。
共通の話題もあるしね。
そしたらじょじょに
ローカルの友達も増えていって、
気がついたら1年くらいで
けっこう話せるようになったよ。
26歳KYOSUKE PRESENTS でニューヨーク初イベント
金曜日と土曜日は難しいかなぁ。
基本的にこっちのイベント会社が全部押さえちゃうからね。
でもどうしても金曜日か土曜日の座を
取りたくてね。
特にここのホテルラウンジは
綺麗にライトアップされた
温水プールとサウナもあって、
みんな水着でパーティーも出来るし
本当お洒落なとこなんだ。
ここにデザイナーや有名アーティストとの
コラボイベントや仲間同士で作り上げた
イベント開催とか出来たら最高じゃん!
そんでめっちゃ頭下げて、
一度でいいからイベント開催させて欲しいって頼んだら、
一度だけ開催の許可をもらった。
ホテル側から何十万って金額を
売り上げろって言われてビビったけど、
とりあえず当たって砕けろって気持ちでいったら、
なんと大成功だった!!
手伝ってくれる仲間や助けてくれる人達がいて
本当によかったと実感出来る瞬間だったな。
その後すぐマネージャーから
どの曜日でも好きな日を選んでいい、
今はお前がうちにとって
最優先順位だって言ってくれたんだよね。
持つべき者は仲間やと心から思った☆
今度はそんな仲間の為に何かできる男でありたい。
基本的には集客して
一人頭いくらってもらう仕事だよ。
こっちの大きなクラブには
何十人もそういう人がいた、
でもどのクラブに行っても
日本人プロモーターは一人もいなかったけどね。
だから日本人が楽しめる場所を
俺がもっと提供出来たらって思い始めたよ:)
2年くらいかかったかな。
最初は結構大変だったなぁ。
全く英語喋れない状態で
何十件ものクラブ回って
パーティープロモーターにさせて下さいって
お願いしたけど、
ほとんどマネージャーに会う所まで
たどり着けないか、門前払いか、
日本人だからってなめられる事も多々あった。
だからまずは客として入って
そこで働いてる奴捕まえて、
俺をここで働かせてくれって言って
無理矢理その人の下で働かせてもらったね。
でも裏切りもあったし、
ばっくれられる事もあったし、
支払われるはずのお金も全部で
200万くらい貰えなかったし。
ただそれでもよかった、
ようやく自分が立ちたいステージにたてたからね。
27歳” Sky & Keys New York " 立ち上げ
ははは!まあね。
どこかで聞いたけど、
好きな事に本気で懸ければいつか仕事になるって、
本当にそう思うんだ。
でも俺自身の本当の理由はお母さんかな。
小さい頃からお父さんがいたりいなかったりで
ずっとお母さんが働いててね
そんで俺が18歳になったとき
当時の父さんが刑務所入っちゃって、
ヤクザからの取り立てや借金に追われて、
いままでよりも何倍も辛い時期があったんだよね。
俺はその時夢おって
上京する時だったんだけど、
突然 俺の家が無くなるかもしれない、
ってなって。それで
「家の為に一生懸命働くから心配しないで」
って母さんに言った。そしたら母さんが
「私はあんたの夢は壊さん、おかあさんは大丈夫だから、
自分の夢本気で叶えてこい」っていってくれて
俺は東京に残れたんだよ。
だから出来る限り早く
そんな母親を守ってあげたくて。
その為に経済力もつけていかないといけないし、
母親が望むように夢を追い続ける必要がある、
両方必要なんだよ。二兎追って二兎得なきゃいかん。
そんな中立ち上げたのが
Sky&Keysなんだ。
SKYは自由、KEYは鍵。
自由の扉を開ける鍵って事で作った。
自由ってのは好き勝手して遊ぶ事ではなく、
自分が本気で懸けるものだけに集中して
本当の意味で自分を信じて行動出来る自由、
みんなプレッシャーの中で生きてるから
なかなか難しい事だと思うけど、
きっとそうすると全てが楽しくなると思うんだよ。
そんな夢を持つ人達が
活躍出来る場所を提供していきたいね☆
27歳TimesSquareにあるTheGraceHotel貸切り、第一回” Creative Networking Party " 開催 !!
貴重な出会いをつくりだすことを目的にしてる。
とくにアーティストたちのだね。
ニューヨークって
アーティストたくさんいるけど、
それだけで食っていける奴って
少ないよね。
だからそんなアーティストたちが
活躍できる場所を提供したい。
ファッションデザイナー,モデル,スタイリスト、
グラフィックデザイナーなど ニューヨークで
活躍しているクリエイティブな人達が集まり、
それぞれが持つ情報と人脈をシェアし、
個々の目標に近づける、
そんな場を提供したいね
野望『世界を繋ぐ』
本当の仲間を見つけられる場所を
世界中で作りたいってこと。
おれは感性をみがくって
すごく大事だと思ってる。
しかもその感性は全く違うカルチャーと
触れ合うことで初めて磨かれる。
おれもニューヨークにきたからこそ
めっちゃ和食うまいって
感じるようになったし、
日本のこともめちゃ好きになった。
人も同じでいろんな人を知って
初めて自分を知る事ができると思う。
人は人を通してからしか
自分のことがわからない。
だから人に会う事ってすごく大事。
世の中にはうすっぺらい関係も
すごく多いと思う。
だからこそ本当の仲間を
見つけることが一番大事で、
そんな仲間を見つけられる場所を
作り続けていきたい。
いまはニューヨークで
クリエイティブってとこに
たまたまフォーカスおいてるけど、
世界中のあらゆる分野に広げていきたい。
世界を繋ぎたい!
生き方『毎朝カフェにいってたいね』
毎朝地元でカフェにいって、
そこで最後に何を残すか
ラストスパート考えてたいねw
贈る言葉『まず行動、そして継続。』
まず行動、そして継続。
考えても考えなくても失敗はする。
自分の好きな事くらい迷わず
挑戦出来るやつになれって言うかな。
今後の挑戦
- 2013年 1000人パーティ開催!
BIOGRAPHY
- 00歳愛知県に生まれる
- 11歳卓球クラブ代表。全校生徒の前で試合
- 14歳19歳子持ちと初めて付き合う。脱童貞:)
- 15歳ヒップホップに憧れダンサーなる事を決意
- 15歳愛知県で一番レベルの低い高校に入学
- 17歳ダンスグループ「NEXT STYLE」結成
- 18歳停学5回目でついに退学
- 18歳上京する事を決意。新たな夢、俳優を志す
- 19歳文学座に合格。俳優人生スタート
- 20歳蜷川カンパニーオーディション合格
- 22歳六本木、会員制バーの店長になる
- 23歳俳優を辞め、ニューヨークに行く事を決意
- 24歳スタジオ借りダンスインストラクター
- 24歳金が尽き、ストリートパフォーマンス敢行
- 24歳有名クラブでパーティープロモーターに
- 25歳日本人ゴスペルクワイアーに加わる
- 26歳初めてアポロシアターのステージに立つ
- 26歳KYOSUKE PRESENTS でニューヨーク初イベント
- 27歳” Sky & Keys New York " 立ち上げ
- 27歳スーツの会社とコラボレーションイベント
- 27歳ファッションショー開催
- 27歳TimesSquareにあるTheGraceHotel貸切り、第一回” Creative Networking Party " 開催 !!
- 28歳" JPN Quality " 立ち上げ