相田正紀(MASAKI "MICKY" AIDA) - お茶目なボクサー
ラスベガスでチャンピオンに成る。
ボクサーという荒々しそうなイメージからは程遠い。丁寧に言葉を一つ一つ選んで話す姿がとても印象的だ。 彼の経歴も面白い。カツオ一本釣り漁船勤務から、ラスベガスのチャンピオンを目指すボクサーへ。 事故で足の指二本を失い、一時は、自暴自棄になりながらも、奇跡のカムバックを遂げた異色のボクサー。 自身をブルースリーの後継者だと感じ、映画界への進出も視野に入れている多彩なボクサー。 静かな口調に闘志をたぎらせながら、夢を語ってくれた。
対談者:U-KING
友人の共通の知り合いで挨拶をかわすものも、 3年間もの間、全く会わず。 しかし、このプロジェクトが始動してから、 運命的な再会を果たし、迷わず溜まり場勧誘へ。
16歳「海の近くがいいから」水産高校へ。
高校を水産高校にしたのも、
海が近くだったから学校帰りに
海に遊びにいけると思っただけなんだよ。
サーフィンとかが好きで
これで毎日いける!って喜んでたら、
色んな水産関連の資格をとらなきゃいけなくて
授業が結構キツかったんだよね。
17歳ハワイ沖でマグロ漁を経験。
18歳カツオ1本釣漁船、勝栄丸入社。
18歳-30℃の凍結液に二度落ちる。
カツオ漁の船って、結構ないきおいで
みんなが40キロ以上ある様なカツオを
貯蔵庫に向けて投げまくってて。
俺は新人だったから、一番過酷な
凍結液の近くで作業してたんだけど、
どっかのアホが俺が居るのに気づかずに
カツオをぶんなげてたんだよね。
それが俺の頭にガンッてあたって、
カツオと一緒に凍結液の中に
頭から落ちてったんだよ。
ー30度では、カツオが2秒で動かなくなるのを
ずっとみてたから、無意識の中でとりあえず
動き続けないとって思って。
ばたばたしてたけど、腰から下は完全に
氷で凍ってしまったよね。
やっとの思いではしごにつかまって、
上半身の力をフルに使って、よじのぼったよ。
そっから下半身が凍ってるから、
カツオとおなじような要領で
お湯をかけられて解凍されたよ笑
周りに大丈夫かー?って言われたけど、
大丈夫じゃないからね笑。
今度はどっかのアホが、
カツオをすべらせてたんだよね。
で、今度は足をすくわれて、また
カツオと一緒に頭から落ちた。
でも不思議なモノで、二回目だったから
大分余裕があったよね。
全然動揺しないで、はしごでよじのぼれたよ笑
19歳キックボクシングジム入門。
22歳所属ジムをやめタイに渡る。
22歳タイにてプロデビュー1ラウンドKO勝ち。
23歳日本にもどり魔裟斗のジムに入り数試合こなす。
24歳足の指を2本事故で失う。
日本でのプロテスト直前に、
そのとき働いてた工事現場で
ショベルカーに足を踏まれて、
足の指が2本無くなったんだよ。
あれはびっくりした。
踏まれた時って余り痛くなかって、
ちょっと熱かったくらいなんだよね。
で、普通に仕事に戻ろうとしたら、
同僚にお前ちょっと靴下脱いでみろって。
大丈夫ですよーっていいながら
ちょっと嫌な予感がしてたんだよね。
で、靴下脱ぐと、靴下に二本指が入ってた。
それ見た瞬間、一番最初に浮かんだのは
ボクシングが出来なくなる事だった。
それくらいボクシングは俺の生活の
中心にその時すでになってたからね。
しかもサウスボーの俺にとっては、
踏み込む時に使う大事な指だった。
で、1ヶ月半くらい入院して、
そっから2ヶ月くらい自宅で引きこもってた。
ずっと包帯でぐるぐる巻いてあって、
直ってるかどうか、歩けるかどうかっ
てのも分からなくて。
ボクシングが出来ないって考えだけが
すごい頭の中から離れなくて、
一回飛び降り自殺もやったくらい
精神的に落ち込んでた。
野望『ラスベガスでチャンピオンに成る。』
生き方『好きなことを情熱をもってやり続ける事。』
贈る言葉『恐れるな。常に最高の目標を持て。』
後日談
31歳初インタビューから3年後
ビデオをみてた限り勝てると思った。
アメリカでは無名だから、
チャンスだと感じたし、
結果的にやってよかった。
周りの人たちも覚えてくれた。
度胸試しになった。
ただデビューした段階では、
アメリカでデビューするレベルでは
まだないと言われてた。
時間をとってしっかり鍛えながら
試合をしたほうがいいと言われた。
一戦目が終わってからスタイルを改善して
よりディフェンシブにした。
進化を感じた。自分から行かずにまって
カウンター狙いのスタイルに変更した感じ。
ただ二戦目もいいとこまでいったけど、
判定負けになってしまった。
試合で感じたのは、指を失ったバランスは
完全に治ることではないということ。
限界を感じて、引退としようと思って、
1年半くらいボクシングから離れた。
知り合いが声をかけてくれて、
教会でボクシングを教えているって。
週に2ー3回やる程度なんだけど、
練習しなくなって見えてくるものがあった。
気持ち的に、また世界王者を
目指したいと思えるようになってきた。
アメリカに憧れて
アメリカ人の友達を無理やりみつけて
つるんだりしたけど、
自分が侍であることに気づいた。
あと人間の見方が変わった。
日本にいると日本人しかみない。
アメリカにいるといろんな人種の人間がいて、
時間の使い方が全然違う。
アメリカのトレーナーの教え方は、
自由度が高く、自分が試される。
自分の個性を伸ばすような
教え方をしてくれる。
日本では教えられた通りやったらいいけど、
アメリカではアドリブが重要。
自分で工夫して動く。
年齢はそんなに気にしていなくて。
2月中旬に横浜へ帰国予定。
日本のボクシングジムに所属して
プロとして活動したい。
アメリカでやってみて、自分で
考えて行動するというのが身についた。
プロになったら練習するだけではなくて、
自分から売り込んでいくことが大事。
今後、ボクサーをプロデュースする
こともあるかもしれないから、
そういうのの手助けをできるように
なったらいいなと感じる。
アメリカで学んだアイデアを
同じ日本人に伝えていきたい。
BIOGRAPHY
- 0歳神奈川県に生まれる。
- 13歳横浜市の中学入学。
- 16歳「海の近くがいいから」水産高校へ。
- 17歳ハワイ沖でマグロ漁を経験。
- 18歳カツオ1本釣漁船、勝栄丸入社。
- 18歳フィリピン沖でカツオ漁。
- 18歳-30℃の凍結液に二度落ちる。
- 19歳カツオ漁船退社。
- 19歳キックボクシングジム入門。
- 22歳所属ジムをやめタイに渡る。
- 22歳タイにてプロデビュー1ラウンドKO勝ち。
- 23歳魔裟斗のジムに入り数試合こなす。
- 23歳ボクシング転向。
- 24歳足の指を2本事故で失う。
- 25歳渡米。大会出場も惜しくも1回戦敗退。
- 27歳プロ一戦目!アマチュアの元世界王者に惜敗!
- 29歳プロ二戦目!惜しくも判定負け!納得行かずボクシングから離れる。
- 30歳日本への帰国決意。逆輸入ボクサーとして活動予定!