頑張ることは楽なことだ
世の中を見渡すと、
頑張ってるやつが尊い、
みたいな価値観がある。
頑張ってるやつはすごい、
頑張ってるやつになろう、
確かにこの見方は正しい。
自分の決めた目標を達成するには
前に進むしかないから。
でも一方で、
努力することは大変なことかと
言われればそれは違うなーって思う。
実は努力することは一番楽なことではないか、
たとえば富士山に登ってる最中は、
確かに足腰にくるし、汗もでる。
でも肉体的なしんどさはあっても、
ただ決められた道にそって
登り続けることに精神的なしんどさはない。
本当にしんどいのは、
「会社をやめた、」
「明日から何もすることがない」
「このままではだめだ、」
「何か新しいことをしなければ、」
「それはなんなんだ」
↓
「富士山に登ろう。」
ここまでが一番しんどいのである。
目標なんて決めてしまえば、
人間誰でも努力はする。
努力なんて人間なら勝手にできちゃうような
簡単なことである。
自分自身、日本にいたころは
3時間睡眠で仕事をしていた。
学生時代に本なんて全く
読んだ事もなかったのに、
1年に100冊は読むようになった。
そう、まじで努力をしていた。
でも今は週3ほどしか仕事をしてない。
血が滲むような努力もしてない。
でもどっちがしんどいかと、
言われれば完全に今なのだ。
「日本人を世界からかっけーって思わせたい、」
そういう熱い気持ちがある中で、
「そもそも国があるから戦争がある。国にこだわる考えは古いのでは」
という考えも浮かんでる。
これはニューヨークに来たばかりで
ぎらぎらしてた自分には見えなかった。
いま立ち止まってしまったから見えたことだ。
普通の野球選手も
どうやって打率を上げようとか、
そのためにバットを何回ふろうとか、
足腰はどういう筋トレで鍛えようとか、
といったことは考えると思うが、
そもそもも自分は何をなすために生まれてきたのか、
クリケットは仕事にならないのになぜ野球は仕事になるのか、
なんで野球をやり続けてるのか
そんなことを考える人は
ほとんどいないだろう。
そういう考えが浮かぶのは
人間だれしも努力してるときではなく、
立ち止まったときだからだ。
だからこそ人は立ち止まることお恐れ、
なんとなくやってることを続けてしまう。
でも真実というのは
立ち止まったときに初めて
見えるのである。
挑戦者の溜まり場は、
努力家の溜まり場ではない、
一度立ち止まって考え、
真実の自分を知ろうとした者達の
溜まり場である。