話したがる人、聞きたがる人

6/5、今日はもうデモないかと油断してたら、

ドンっ!っていきなり強烈な音がした。

店の外を見ると、パトカーとデモ隊が並行して進んでいた。

外出禁止令の8:00を過ぎてるせいか、日に日に規模は小さくなってる様子だ。

デモの様子

お店の閉店前、

警察の人が三人来たので色々と聞いてみた。

「今日のデモは大丈夫そう?」

「今のところはね。まだわからないけど。」

「まだ今から働くの?」

「朝の5時までね。」

「やばっ、NYPDの人も立場的に複雑だよね。いつも目の前で見ててすごく同情してます。」

「そうだね、でもデモは権利として認められてるからね。平和的にやるならいいと思う。毎日規模は小さくなってるから長くは続かないと思うよ。みんな疲れてきてるしね。」

「今日も朝まで頑張ってください」

とサイダーを三人分サービスをすると、またお店に来るよ!と言って彼らは仕事へと戻っていった。

閉店後、一人のヘルスワーカーがきた。

「もう、閉まった?」

「いいよ、ヘルスワーカーの人は特別に。」

「ありがとう。」

「コロナの患者さんは大丈夫?」

「もうノーマルな状態に戻ってきたよ。一時は120人いた患者が、今では3人だけなんだ。」

「すごっ、それはよかった。君はコロナに感染しなかった?」

「僕はテストしたけど大丈夫だった。このマスクすごいんだ。」

と色々と話して盛り上がった後、彼は嬉しそうにラーメンを買って帰っていった。

色々な立場の人とこういう話ができるのは飲食店をやっていて良かったなと思う瞬間だ。

ニューヨークでよく考えさせられるのは、

”相手の立場になる”ことの大切さだ。

これは人間関係の基本中の基本であり、

これができる人とできない人で人生の充実度に雲泥の差がつく。

できなければ自分のことが理解されない!という

ストレスでぶっ飛んでしまうだろう。

これって簡単そうでめちゃ難しい。

さらに言えば日本人同士でも大変なことなのに、

多様な人が住むニューヨークだだったらなおさらだ。

例えば

いま問題になってるデモでは

白人、黒人という立場があり、

弱者と権力(警察)という立場がある。

アメリカ人と移民という立場があれば、

ビジネスマン、アーティストという立場もある。

本当に世界稀に見る多様都市だ。

そこでまざまざと痛感されるのは、

正解なんてないってことだ。

立場が変われば、正解はどうにでも変わる。

だから正解なんて考えたり

議論することほど無駄なことはないと

いつもこの街が僕に教えてくれる。

そして同時に、

だからこそ大事なことは、

相手の立場を理解しようと、

努力し続けることだと教えてもらっている。

ここにしか、

正しい道、つまり正解はない。

相手の立場を理解しようとせず、

自分の主張だけをするのはやめよう。

口は一つ、耳は二つ。

僕らは話すことの2倍、

聞くことに徹するべきだ。

相手の立場を理解する努力を続けるべきだ。

いつだって仕事ができる人というのは、

話がうまい人ではなく、聞くのがうまい人である。