270日連続で瞑想してみてわかったこと

スティーブ・ジョブス(実業家)

アッシャー(歌手)

ダン・ブラウン(作家・ダビンチコードなど)

レイ・ダリオ(有名投資家)

ユバクノアハラリ(作家・ホモサピエンスなど)


1流と言われる

彼らには共通する習慣がある。

それは「瞑想」だ。


今「瞑想」という言葉を見て、

宗教っぽいという感覚を受けたあなた、

大丈夫、それが日本で育った日本人の普通の感覚だ。


でもこんなにジャンルの違う

海外のプロフェッショナルの人たちが(インドやスリランカではなく)、

とても大切な習慣として取り入れてるのはなぜなのか?

そんな多少の興味とちょうど去年読んだ、

僕の好きなユバクノアハラリ氏の本で、

瞑想が絶賛されてたタイミングが重なり、

僕の興味は行動へ変わった。


早速、どうせならガチで試してやろうと、

10日間の山籠りコースに申し込んだ。

期間中は私語も運動もスマホも禁止。

1日10時間、瞑想をするそうだ。

だがそんなことよりも

毎日40分ランニングの習慣を死守するために

どっやってバレずこっそり走るか

僕はそのことが気掛かりでならなかった。


そうしてようやく

山登り初日の2020年3月11日、

電車に乗って意気揚々とデラウェア州に向かった。


その数時間後、

アメリカでコロナによる緊急事態宣言発令!

あらゆる州がロックダウン、

山にいた僕も例外ではなく、

1日目の修行を終えた次の日3月12日、

修行は初の急遽打ち切りとなり

強制下山となった。


なんとも奇跡的なタイミング。

おかげで大きな木の下に隠れて

こっそり10日間ランニングをしようという計画は

実行せずに済んだ。

が、あまりに悔しかったので、

僕は今日まで一人その瞑想を続けてきた。


そして今日でちょうど丸9ヶ月になる。もうすぐ300日か。

やってみた結果を一言でいうなれば、


「まだわからん」


だ。ほんとまだわからん。


最初の1ヶ月は、1日5時間の瞑想

2ヶ月目から、1日2時間の瞑想

6ヶ月目から、1日40分の瞑想

となり

今は毎日朝と夜の20分ずつ行なっている、


といっても

ただひたすら正座してるだけで、

何のお経を唱えることもなければ、

神様にお願いすることもなければ、

川のせせらぎを聞くことも、

自分を客観的に見ようと想像するわけでもない。


無だ、無。


ただただ座って、動かず、何も考えない、

これランニングよりきつい。

景色変わんないし、時間経たんし。

そもそも無になれん。


これはほんと修行だ。


「まだわからん」

といったが、一つわかったことがある。


まだまだ自分のこと全然わかってねーな

ってことだ。

だって目を瞑って1分間、

何も考えないことすらできないんだから。

常に無意識が勝手になんか考えとる。

自分の意思とは関係なく。


僕たちは自分で考えてるようで考えてない、

自分で選んでいるようで選んでない、

自分のことがわかってるようでわかってない!


哲学の祖、ソクラテスは言った。

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その人と対話をしていて私にはこう思われたのです。
「この人は、他の多くの人間たちに知恵ある者だと思われ、とりわけ自分自身でそう思い込んでいるが、実際はそうではない」と。
私は帰りながら、自分を相手にこう推論しました。
「私はこの人間よりは知恵がある。この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」と。

『ソクラテスの弁明』より

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「まだわからん」

ということがわかった。


これぞ「無知の知」


やっててよかったな